小学校高学年における哲学対話を用いた死生観教育の実践
はじめに:なぜ小学校高学年で哲学対話が有効か
小学校高学年になると、子どもたちは抽象的な思考が可能になり、「なぜ自分は生きているのか」「死んだらどうなるのだろう」といった根源的な問いを持つようになります。これは、自己と世界に対する理解が深まる大切な発達段階です。しかし、これらの問いに対して、単に知識を教えるだけでは子どもたちの内面的な理解や納得に繋がりにくい場合があります。
ここで有効なアプローチの一つとして注目されているのが「哲学対話」です。哲学対話は、特定の答えを求めるのではなく、互いの考えを尊重しながら、問いを探求していく対話の場です。高学年の子どもたちは、他者の意見を聞き、自分の考えを言葉にする力を伸ばしている最中であり、哲学対話はその力を育むとともに、死生観という深く多様なテーマについて多角的に考える機会を提供します。
死生観教育において哲学対話を用いることは、子どもたちが「死」という避けられないテーマについて、一方的に教えられるのではなく、自ら考え、感じ、他者と共有するプロセスを経験することを可能にします。これにより、彼らの内面的な葛藤や不安に寄り添いながら、自分なりの意味づけや価値観を育む手助けとなるのです。
哲学対話とは:教育現場での適用
教育現場における哲学対話は、子どもたちが一つのテーマや問いについて、自由に、そして論理的に話し合う活動です。ファシリテーター(進行役)である教師は、知識を教えるのではなく、子どもたちの発言を促し、整理し、問いを深める役割を担います。
哲学対話は通常、以下のような特徴を持ちます。
- 開かれた問い: 答えが一つではない、多様な考えを引き出す問いから始まります。
- 対話: 参加者同士が互いの意見に耳を傾け、それに応答しながら考えを進めます。
- 探求: 答えを見つけることよりも、共に考え、問いそのものや多様な視点を探求するプロセスを重視します。
- 安全な場: どのような意見も否定されず、安心して発言できる環境が不可欠です。
死生観をテーマとする哲学対話では、「生きるってどういうこと?」「もし〇〇が死んだら、どう感じるだろう?」「悲しい気持ちはどこからくるのかな?」といった問いが考えられます。高学年では、これらの問いについて、より抽象的な概念(例えば「永遠」「魂」「意味」など)にも触れながら対話を深めることが期待できます。
死生観に関するテーマ設定のヒント:高学年の発達段階を踏まえて
高学年の子どもたちは、論理的な思考や他者の視点を理解する力が発達しています。死生観に関するテーマを設定する際には、彼らの知的好奇心や社会性を刺激するような問いかけが有効です。以下にテーマ設定のヒントと問いの例を示します。
- 「生きる」の意味を考える問い
- 「生きている」って、どういうことだろう?
- 何のために生きているのかな?
- もし明日世界が終わるとしたら、今日何をしたい?
- 生きている間に大切にしたいことは何だろう?
- 「死ぬ」を考える問い
- 「死ぬ」ってどういうこと?
- 死んだらどうなると思う?(科学的な事実だけでなく、想像や感覚も含めて)
- もし生き物が永遠に死ななかったら、世界はどうなるだろう?
- 人はなぜ死をこわいと感じるのだろう?
- 「命」や「時間」を考える問い
- 命ってどこにあるのかな? 形はある?
- 命は一つだけ? それともつながっている?
- 時間には始まりと終わりがあるかな? 命の時間とどう関係する?
- 「最期まで生きる」って、どういうこと?
- 「悲しみ」や「喪失」を考える問い
- 大切な人やものを失うと、どうして悲しい気持ちになるんだろう?
- 悲しい気持ちは、いつかなくなるのかな? それとも形を変える?
- 亡くなった人を思い出すとき、どんな気持ちになる?
これらの問いはあくまで出発点です。対話の中で子どもたちから出てきた疑問や発言を拾い上げ、柔軟に問いを変化させていくことが大切です。絵本や物語、短い映像などを導入として用いることで、子どもたちが問いに入り込みやすくなる場合もあります。
哲学対話の具体的な進め方と実践上の留意点
哲学対話を成功させるためには、準備とファシリテーションが重要です。
哲学対話の基本的な進め方(例)
- 場の設定とルールの確認:
- 円形に座るなど、全員がお互いの顔を見ながら話せる配置にします。
- 哲学対話のルールを確認します。「人の話をよく聞く」「話し合いからそれない」「どんな意見も大切にする」「パスしてもいい」など、子どもたちと一緒にルールを決めると、主体性が育まれます。
- 今日のテーマ(問い)を提示します。
- 最初のラウンド:
- 提示された問いについて、一人ずつ順番に、今の自分の考えや感じていることを一言で話します。話したくない場合はパスしても構いません。これは、全員が安心して発言する機会を持つためのものです。
- 自由対話:
- 最初のラウンドで出された意見や、問いについて自由に話し合います。
- ファシリテーターは、特定の子どもに発言が集中しないよう促したり、「〇〇さんの意見について、どう思いますか?」「今の話を聞いて、新たにどんな疑問が浮かびましたか?」などと問いを投げかけ、対話を深めます。
- 発言を要約したり、ホワイトボードに書き出したりして、子どもたちの考えを「見える化」するのも有効です。
- 最後のラウンド:
- 対話を通して考えたこと、感じたこと、気づいたことなどを一人ずつ順番に話します。「〇〇さんの意見を聞いて、初めてそう考えた」「最初はこう思ったけど、今は△△とも考えられるようになった」といった変化や学びを共有します。
- 振り返り:
- 哲学対話の時間そのものについて振り返ります。「今日の対話で良かった点は?」「もっとこうしたら良かったことは?」など、対話のプロセスを振り返ることで、より良い対話の場を自分たちで作っていく意識を育みます。
実践上の留意点
- 安全な場の確保: 子どもたちが安心して自分の内面を表現できるよう、教師が率先して多様な価値観を尊重する姿勢を示し、互いの意見をけなさず、違いを認め合う雰囲気を作ることが最も重要です。
- ファシリテーターの役割: 教師は「正解」を知っている立場でなく、あくまで対話の進行役です。自分の考えを押し付けたり、子どもたちの意見を評価したりすることは避けましょう。子どもたちの言葉を丁寧に聞き取り、彼らの言葉を使って問いを深めることが求められます。
- 予期せぬ発言への対応: 死や喪失といったテーマは、子どもたちの深い感情や個人的な経験に触れる可能性があります。予期せぬ感情的な発言や、困難な経験の共有があった場合は、クラス全体で共有する必要のないプライベートな内容は深掘りせず、その子の発言を受け止めることを優先します。必要に応じて、対話の時間外に個別に話を聞いたり、スクールカウンセラーや養護教諭と連携したりする準備をしておくことが重要です。
- 時間配分: 高学年の集中力や対話の深まりに合わせて、適切な時間配分を計画します。初めは短い時間から始め、慣れてきたら時間を延ばすなど、柔軟に対応しましょう。
- 評価について: 哲学対話は知識の習得を目的とするものではないため、子どもたちの発言内容に優劣をつけるような評価は行いません。参加姿勢や、他者の意見を聞く態度、自分の言葉で伝えようとする努力などを認め、励ますことが大切です。
まとめ:哲学対話を通じた死生観教育の効果と展望
小学校高学年において哲学対話を取り入れた死生観教育は、子どもたちが自らの内面と向き合い、他者との関わりの中で多様な価値観に触れる貴重な機会を提供します。これは単に「死」について考えるだけでなく、「生きる」ことの意味や価値、そして他者や自分自身の「命」の尊さについて深く考えることに繋がります。
哲学対話の経験は、子どもたちの思考力、表現力、傾聴力、共感力といった非認知能力の発達を促します。また、多様な意見が存在することを認め、その違いの中で学び合う経験は、将来社会に出たときに直面する様々な問題に対して、他者と協力しながらより良い解決策を探求していく力の土台となります。
もちろん、哲学対話だけで死生観教育の全てを担えるわけではありません。日常生活の中での生物との関わり、自然体験、文学作品や芸術に触れる機会、そして何よりも温かい人間関係の中で、子どもたちの死生観は育まれていきます。しかし、哲学対話は、子どもたちがこれらの経験を通して感じたこと、考えたことを言葉にし、他者と共有することで、自分自身の死生観をより明確にし、深めていくための有効な「立ち止まって考える時間と場」を提供できると考えられます。
小学校教諭の皆様が、子どもたちの発達段階を見極めながら、安心して探求できる対話の場を創り出すこと。それが、子どもたちの豊かな死生観を育む大切な一歩となるでしょう。